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2008年7月 3日 (木)

将棋とコンピューター、そして将棋界の未来。

羽生さんが名人に返り咲いて、第2の黄金期を迎えるかという活躍をしていたり、従来漠然と全ての場面に通用する真理と信じられてきた「棋理」に疑いの目が向けられ、それに反する革新的な戦法が次々に登場していたりして、最近将棋が大変に面白い。新聞の記事によれば、子供達の間でもだいぶ人気が出てきたようだ。

そんな明るい話題の多い将棋界において、今一番と言っていい気がかりなことは、コンピューター将棋のことではないだろうか。コンピューターの世界のことだから、その進化の速いことには慣れてはいたものの、つい先日、アマチュアの強豪が同じ日に立て続けに2人もソフトに負かされたことには驚いた。渡辺竜王とボナンザの対戦の時にも感じたことだが、今まさに、コンピューター将棋が人間と肩を並べ、追い抜くかどうかという瀬戸際に来ていると思う。

そしてこの話題になると決まって持ち出される比喩がある。曰く、

「例えば野球のピッチャーをピッチングマシンに代えたら、球速は200キロでもそれ以上でも簡単に出せるけど、それじゃ面白くないよね。だから人間がコンピューターで将棋に負けたとしても、将棋の世界も変わらないよ。」

本当にそうなのか。

初めてこの比喩を聞いたときから若干の違和感を覚えていたので、少し頭の中を整理してみたい。

・・・

野球にピッチングマシンを導入すると、なぜつまらないのか。それにはまず、野球を含むスポーツの魅力はなんなのかを整理することが必要だ。

・プレー中の人間ドラマ。
・プレー外の人間模様、出来事。

これらの魅力は、確かに、人間を除外してしまったのでは失われてしまう。それがまず第一の理由。

・種々のスポーツ自体が内包する攻防の面白さ。

これは、一応人間の身体活動とは切り離して実現が可能である。例えば、野球やサッカーなどのテレビゲームは、スポーツの楽しさのエッセンスを巧妙に抽出して再構築することに成功している。(僕はカルチョビットというサッカーゲームくらいしかやったことはないけれど、この極めて原始的な映像表現しか持たないゲームが、実に見事にサッカーの面白さのエッセンスを表現出来ていることには驚かされた。)

従って、この点に関しては、必ずしも人間である必要はないのかも知れない。

しかし、スポーツの魅力はこれらに尽きるものではない。

・人間の肉体、身体運動に対する興味。

これこそが、スポーツにおける魅力の究極的な源泉である。鍛え上げられた肉体、信じがたい運動能力、その魅力を堪能したいが為に、様々なスポーツが生まれ、それが職業にまで成っているのだと思う。

したがって、「野球にピッチングマシンを導入すると、なぜつまらないのか。」という問の答は、「一番興味のある対象を除外してしまっているから。」と言うことになる。

それでは将棋の場合はどうか。やはり、将棋の魅力はなんなのかを整理して行くことが必要だ。

・盤上の戦いにおける人間ドラマ。
・盤外の人間模様、出来事。

これらについては、スポーツの場合と同様、人間を除外しては考えられない。一般にはあまり知られていないのかも知れないけれど、将棋界のこうした人間模様は大変に興味深いのである。

・ゲーム自体が内包する攻防の面白さ。

思わぬところで王手飛車取りが掛かってしまったり、詰めろ逃れの詰めろがあったり、という将棋全般に共通する面白さの他、相矢倉、角換わり、相掛かり、横歩、居飛車振り飛車対向型、相振り飛車・・・という、それぞれの戦いに固有の攻防の特徴があり、面白さがあると思う。そしてこれは、一応人間からは切り離して考えることが出来る要素だろう。(これらを単純化して、ゲーム化も可能かも知れない。子供を育てて行くRPG「七冠王への道」とか(笑)。初期の重要アイテムは、もちろん「あかいぼうし」)

そして、何と言っても将棋や囲碁などで特徴的なのは、

・未だ解明されない最高峰の知的ゲームの究極の解を追究すること。

ここに、その魅力の究極の源泉が存するという点ではないだろうか。一般的には、その究極の解を追い求める天才達の人間ドラマにより大きな関心があるとしても、それを根底で支えているのは、やはり、その本質を容易に明らかにしない将棋の奥深さと、その宇宙の真理を知りたいという人間の欲望であると思う。

したがって、この真理の追究において、もしトップランナーがコンピューターになってしまったとしたら、将棋は、囲碁は、どうなるのか・・・という不安が生じてくるのも当然のことである。

人間の肉体とその運動こそがその魅力の究極の源泉であるスポーツと、そうではない将棋とでは、コンピューターや機械の登場に関して比喩を用いて論じうる領域は、普通思われているよりかなり小さいのではなかろうか。

さて、このように、野球の比喩を持ち出して安心しているわけにはいかないとすると気になるのが、

1.今後、序盤から終局に至る全ての場面において、最善手の発見に関してコンピューターが人間を圧倒することがありうるのか。また、

2.現実の勝負において人間が勝てなくなった場合、将棋界はどうなってしまうのか、どう対応すべきなのか、ということである。

1.について

現在の将棋ソフトのスタイル、すなわち、極めて初歩的な評価関数を用いて圧倒的な計算力で現在の局面のみを読んで行くというスタイルが続くとすると、なかなかそうはならないだろうと思う。人間の特徴はソフトとはまるで異なり、極めて高度な評価能力+コンピューターからすると貧弱な計算能力、と言うところにあるからである。

これに関しては、羽生名人の発言が興味深い。

・・・私はトンネルを左側からスコップで掘っていき、右側からは(コンピューターが)ショベルカーで掘っている姿を連想してしまいます。

掘り続けている内にどこかで『やあ』と出会うのか、あるいは永遠に別々のトンネルを掘り続けているのか、興味は尽きません。(「先を読む頭脳」P.210)

また共著者の研究者の方も、

共同して将棋の神様に挑んで、未知の領域を切り開いて行く。それが理想的な姿です。(同書 P.208 )

と述べておられる。

これが現時点における最善の考え方なのだと思う。少なくとも、予想しうる近い未来においては、すべての場面においてコンピューターが人間を凌駕することはなく、それぞれの特性を生かして「共同研究」して行くことになるのだろう。

このことは、コンピューターとの出会いを一足先に経験したチェスにおいては、もう当たり前のことになっているようだ。局後の検討から、最先端局面の研究に至るまで、全ての場面でコンピューターが駆使され、そのことを特に隠したりもしない状況だという。

人間とコンピューター、それぞれの特徴が全く異なる以上、このような方向は当然のこととして将棋界にも訪れるだろうし、真理の追究に関して異なる役割を担えるのだから、それでなんの問題もないと思う。(あまり表には出てきていないけれど、棋士のブログや将棋雑誌から漏れてくる情報を見ていると、水面下ではすでにコンピューターを利用した研究(棋譜管理や検索のみではなく具体的な指し手の研究)が始まっているようにも思われる。)

2.について

将棋の真理追究に関しては、両者が別々の役割を担いつつともにトップランナーであるとしても、一般人の一番の興味は現実の対局であり、また、真理追究と盤上の勝負は車の両輪というのが将棋界の一般の理解だろう。したがって、現実にA級棋士がバタバタとコンピューターに敗れるという事態になった場合、将棋界がどうなるのか、どうすべきかというのは大きな問題。

先に将棋の魅力として、

・盤外の人間模様、出来事。
・盤上の戦いにおける人間ドラマ。
・ゲーム自体が内包する攻防の面白さ。
・未だ解明されない最高峰の知的ゲームの究極の解を追い求めること。

を挙げたが、この中でも、もっとも根源的な魅力の源泉である「最善手の論理的追究」という点が、現実の人間の対局において薄れてしまうことは避けられないことだと思う。

このような状況を避けるためには、対局中にそれぞれがコンピューターを傍らに置いて利用しながら戦うと言う方法が考えられるが、どうだろうか。将棋のF1化だ。(チェスではすでにこのようなスタイルの対戦がある。「先を読む頭脳」より)

しかし、日本の将棋文化というのは大変ユニークな特徴を持っており、天才同士の一対一の勝負に、多くの人は魅力を感じているのではないだろうか。じりじりと間合いを測りながら相手との距離を詰めてゆく序盤、駒がぶつかり合って戦闘が繰り広げられる中盤、取った駒を使えるが故に終わりに近づいても収束せずに発散(divergent)してゆく、切るか切られるかの狂気の終盤・・・。まさに、剣豪同士の戦い。口を出したり助力したりすることは、もっとも嫌われるところだろう。「勝負の場において頼れるものは己一人」という壮絶な頭脳勝負に、日本人はロマンを感じるのだと思う。

そう考えてみると、勝負の場以外での研究にコンピューターを用いることはともかく、勝負の場にそれを持ち込むことは、将棋文化とは相容れないと思われる。

そこで、現実の人間同士の勝負においては、将棋の魅力の最も重要な要素が変容せざるを得ないと考える。

・未だ解明されない最高峰の知的ゲームの究極の解を追究すること。
         ↓↓
・生身の人間に可能な限りにおいての最善手の追究。

実は、将棋誕生以来、人間が実際に行ってきたことは変わっていないのであるが、コンピューターが人間を打ち負かすようになった段階においては、それ以前に掲げていた理念型を維持することは出来ず、潜在的に有していたその意味を顕在化せざるを得ないと言うことである。

今までプロ棋士の対局が持っていた神秘性に、微かではあるけれど決定的な陰りが生じることは、やむを得ない成り行きだろう。

むしろ大切なことは、その事態を正面から受け止めて、生身の人間の知的格闘技としての側面をより意識し、ファンに向けてアピールすることではないだろうか。

具体的にはなかなか難しいが、一つには、ファンに向けて将棋の内容(実戦心理なども含む)を楽しく・的確に解説できる人材の重要性が増すと思う。「知的格闘」の鑑賞は解説なくしては十全になしえないが、コンピューターが人間に勝つようになったとしても、その判断方法の特徴からして一局を通じた戦略や指し手の連続性・ストーリーと言ったものとは全く無縁であるから、コンピューターに決定的に欠けていて、人間にのみ可能な部分を最大化する必要があると思うからである。また、感想戦のあり方も、より視聴者を意識したものにする必要があると思う。(現在の感想戦は、正直なところ何を言っているのか分からないものがほとんど。)

ブログなどで様々な情報を発信することも非常に効果的だろう。現在でも、ブログでほぼリアルタイムに自戦記(自分が負けた対局でも!)を載せている棋士の方がおられるが、盤外のあれこれだけでなく、将棋の内容そのものを伝える努力をしているところが、特に素晴らしいと思う。

このような努力の先に、将棋界の未来はあるのだと考える。

(おまけ)

将棋RPG「七冠王を目指せ」

子供が生まれるところから始まって、将棋のルールを教え、将棋教室に連れて行き・・・。子供時代は「あかいぼうし」が最強のアイテムで、見つけたらすごいスピードで強くなる。NHKの子供将棋大会がハイライト。定跡、詰め将棋、棋譜並べ、等の特訓カードがあるが、あまり定跡を詰め込んだりすると後で伸びなくなる。ときどき遊びに連れて行ったりすることも重要。特訓ばかりすると家出してしまう。

奨励会に入ってからは、様々な得意戦法、個性を持つライバル達と戦ってゆく。この段階での意外なポイントの一つは住む場所の決め方で、安くて静かなところを発見できたら高ポイント。定食屋が近くにあればなお良いが、美味しいかどうかちゃんとチェックしないとかえってマイナスになる。うっかり雀荘が近くにあったりしたらそこで脱落。

研究会メンバーの選択も重要なポイント。「鳥研」という名前を付けるとすごく強くなる。しかし、研究仲間もものすごく強くなるので諸刃の刃。

以下は実際のゲームでお楽しみ下さい。

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おととい、takodoriさんから教えてもらって知りました。 片上五段も取り上げてますね。 Cakes and Aleというブログの将棋関連記事3本。 いやあ、びっくり{/ee_2/}、かなりの衝撃です{/ee_2/} {/star/}将棋とコンピューター、そして将棋界の未来。 {/star/}将棋界の未来ーその2ー見巧者を育てる {/star/}将棋界の未来ーその3ー組織について 一般将棋ファンということですが、とてもそうとは思えないすごい見識。 文章も理論的でわかりやすいし、すごく... [続きを読む]

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